愛と死とお墓を考える読・聴・観・想・文 vol.1
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青い月のバラード 著者:加藤登紀子 小学館/1300円(本体)
発売当時、amazonで注文するも、お取り寄せ状態が続き、ついに届かなかった。それが、去年の暮れ、ふとamazonを覗いたら、24時間以内に発送という状態になっているので、改めて発注。届いて、すぐさま読み始め、毎晩ベッドに入るたび読みふけり、私にしてはあっという間に読了した。
元々は、おととしの秋に発売された『花筺(はながたみ)』というCDを聴いていて、その1曲目に本と同名タイトルの曲も入っていた。本が出たのは、CDの発売からまもなくだったように記憶している。
加藤登紀子といえば、元祖東大卒の才媛。かつて学生運動の闘士だった夫、藤本敏夫氏とは、獄中結婚で騒がれもした。といっても、当時小学生だった私はうっすらと記憶しているだけで、このCDを聴くまでは、『知床旅情』など一種野暮ったいヒット曲とか、あまり好みでない歌唱法とか、彼女自身のプロフィールも含めて、決してファンとはいえなかった。TVで耳にしたCDの曲に惹かれたのも偶然だった。そんなわけで、まずは音楽から、そして、気づいたら本まで読みたくなっていたのだった。
CDも本も、2002年7月に59歳でこの世を去った夫、藤本氏への、いわばオマージュとして発表されたものだ。何でも、1カ月で書き上げたという。伴侶をうしない、悲しみを乗り越える過程で、その思いを作品に昇華させるところは、アーティストとしてやはり凄いと思う。
『花筺』に関しては、かつての私の印象は見事に覆され、洗練されたナンバーは、古いとか新しいという概念を超越し、熟達したした大人の女性の、声量は抑えつつも胸の奥からこみ上げてくるような歌唱に聴きほれた。考えてみたら、昔、長谷川きよしとデュエットしてヒットした『灰色の瞳』は、子供ながらに私の好きな曲でもあったのだ。このCDではゴスペラーズのリーダー、村上てつやとデュエットしているけれども、歳の差もなんのその、また村上てつやも、ゴスペラーズの時は上手いけれどもどこかねばっこい歌い方が嫌なんだけど、これはなかなか素敵で、改めて確かな歌唱力を実感する。
そのお気に入りのCD、ぬうぁんと、こともあろうに、夫がパソコンのCD−ROMから(当時、パソコンで聴いていることが多かったので)無理やり出そうとして、ビキっとひびを入れてしまったのだった。嗚呼。今さら新譜を買うのもなあと思いつつ、我が家には今、中身のないジャケットだけが、CDの棚に並んでいるのであった・・・。
話を本に戻そう。
この本は藤本氏の臨終の瞬間から始まり、フラッシュバックするように、出会いと結婚生活、藤本氏の闘病のことが実にコンパクトに、しかも濃密に語られる。十分すぎるほどに盛りだくさんなエピソードが、決して感情に流されず、飾らず、正直に綴られていく。文章もとても読みやすく、魅力的だ。
二人の結婚生活は出会った時から既に闘いだった。学生運動、投獄、妻の歌手としてのキャリア、夫の理想、子育て、世間とのしがらみ、そしてプライド。どれをとっても、何と障害の多い環境だったのか。離婚の危機にもさらされながら、どちらにも妥協することなく、ついには、それぞれの道を確立させていく。それでも、死の足音がひたひたと近づいてくる。永遠の別れを目前にして、二人はようやく、夫婦として、心から信頼しあっていることを知るのだ。
思えば「結婚は人生の墓場」とは、言いえて妙。夫婦ほど、ある意味、他人を意識させる存在はないだろう。生まれも育ちも違う他人が家族になるのだから、現実が夢のようにはいかないのは当たり前なのだ。ある種の地獄でもある。けれども、出会いの運命に導かれ、その修羅場を何度もくぐりぬけてきたからこそ、夫婦はえもいわれぬ堅い連帯感で(これが赤い糸の絆?)で結ばれるのかもしれない。馬には乗ってみよ、人には添うてみよという諺もしかり。などと、経験の浅い私が語っても説得力がないけれども、これが藤本・加藤カップルの人生を垣間見ると、実に説得力がある。この本には、平々凡々とした人生では得られなかった輝きがある。まさに、この人たちでなければ書けなかった物語なのだ。これを愛と呼ばずして、何と言おう! つくづく、加藤登紀子さんは凄いと思う。伊達に東大出ていない(何のこっちゃ)。
| その人の人生、その人が存在した意味は、死んだ瞬間から始まる。まさいてやり残したことがいっぱいある彼の死は、残った人間にたくさんの“始まり”を与えていった。私は彼の残したエネルギーを受け止めて、これから走り出さなければならない。彼の死は、私の出発点なのだ。 『青い月のバラード』より |
田舎生活を理想とした藤本氏が紆余曲折の果てに築いた千葉県鴨川の自然王国。東京にいなければ自分自身でなくなると、別居結婚を続けていた加藤氏は、夫が遺したその自然王国で葬儀を行う。この最後のエピソードが本当に素敵だ。亡くなって死者をより近く感じるというのは、大切な人を失ったすべての人に共通した気持ちだろう。そして、また新たな命(二人にとっては孫)の誕生とともに、拒み続けてきたはずの田舎の生活を、著者自身がいとおしく思うという感情と、彼女自身の新しい生活への予感が、行間からあふれてくるようで、悲しいのに読後感は爽やかだった。この本ではお墓については何も触れていないのだけれど、いずれにしても彼自身が愛したこの地の土に還っていかれたんだろうなということはうかがえる。どんな方法であれ、亡き人が安らぎの場所を得られたこと。これは、遺された者にとっても、この上ない安堵感なのだろうと思う。
最近の加藤登紀子氏は、相変わらず第一線のアーティストとして活躍されている一方、メディアで亡き夫のことを語る場面も少なくない。先日も、NHK教育テレビで伴侶をなくした人たちの思いを語る福祉番組のゲストで登場されていた。ショッキングピンクのブラウスが若々しかったけれども、より一層小柄になったような印象も受けた。それもそのはず。生前、朝食だけは二人で食べていたので、亡くなった当初は朝ごはんの時間が辛くて食べられなかったという。その後、藤本氏が大量に仕込んでおいた味噌を発見して、毎朝食を味噌汁でいただいているそうだ。そう語る加藤氏も、番組の最後で夫を偲ぶ歌をギターで弾き語りする姿は、これまた悲しみに満ちていた。元気で仕事を続けていくことは生きる励みにはなるだろうけれども、伴侶をなくした深い喪失感は、本を1冊書いたぐらいで、埋め切れるものではないのかもしれない。